年表 Chronology

『ディエンビエンフー』執筆にあたり作成したオリジナル・ベトナム史年表です。物語の舞台である「ベトナム戦争」(第二次インドシナ戦争)を中心に、紀元前の神話の領域から、南北が統一された「ベトナム社会主義共和国」の誕生まで約5000年間。2005年角川版(未完)刊行の時点でこの年表は発表され、物語が1965年に始まり、1973年の米軍完全撤退時に完結することが事前に提示されています。

 

『ディエンビエンフー TRUE END』『ディエンビエンフー』の登場人物たちはフィクションですが、物語は現実の出来事、史実をなぞって進行し、それが作品の大きな特徴となっています。どうぞ作品の背景となる広大なベトナムの歴史に思いを馳せてください。

 

(※完結に当たって、各米大統領「何代」の表記、1428年、1978年の出来事を追加。初出は2005年の角川版)


前2880年

フン・ヴォン(雄王)、ヴァンラン(文郎)を建国。

前207年

チョウ・タ(趙侘)、ナムヴィエト(南越)を建国。

前111年

漢の武帝、ナムヴィエトを滅ぼす。漢による支配始まる。

40年

3月 ハイ・バー・チュン(徴姉妹)の反乱。わずか3年間の独立を果たす。

43年

馬援により、ハイ・バー・チュン殺害。

939年

ゴ・クエンが王を名乗り(前呉王)、1000年にわたる中国の支配から独立。

1428年

レ・ロイ(黎朝)が皇帝となりハノイにレ朝を開く。大越の誕生。

1802年

グエン・フック・アイン(阮福王)=ザーロン帝が南北統一。フエにグエン朝を開く。

1804年

1月 清よりヴィエトナム(越南)の国号を与えられる。

1858年

8.3 仏南戦争。フランス軍がダナンを占領。

1884年

フランスがベトナム北部全域を占領。清はこれに反発し、新仏戦争が起こる。

1887年

フランスがベトナム南部、中部、カンボジアを併合。フランス領インドシナ連邦が成立。

1890年

ホー・チ・ミン生まれる。

1930年

2.3 ホー・チ・ミン、ベトナム共産党(後にインドシナ共産党と改名)を設立。

1940年

9月 日本軍がフランス領インドシナ北部に進駐。日仏二重支配へ。

1941年

5.19 インドシナ共産党第8回中央委員会会議で、ベトナム独立同盟(ベトミン)が創設される。

7月 日本軍がフランス領インドシナ北部に進駐。日仏二重支配へ。

12.8 日本軍がハワイ真珠湾を攻撃。太平洋戦争が始まる。

1942年

中国領でホー・チ・ミン逮捕。1943年9月まで幽閉される。

1944年

ベトナム北部で大飢餓発生、200万人が餓死する。ホー・チ・ミン帰国。

1945年

3.9 日本軍、フランス領インドシナ軍を武装解除(明号作戦)。

3.11 バオダイ帝、フランス領インドシナからの独立を宣言。

8.6 広島に原子爆弾リトル・ボーイが投下される。その三日後、長崎に原子爆弾ファットマン投下。

8.15 日本、連合軍に対し無条件降伏。玉音放送。これを受けベトミンが一斉蜂起する。

9.2 ホー・チ・ミン、ハノイでベトナム民主共和国(後の北ベトナム)の独立を宣言。

1946年

3.18 フランス軍がハノイへ入城。

12.19 フランス軍とベトミン、ハノイで全面戦闘開始。第一次インドシナ戦争が始まる。

1949年

7.2 フランスと協定を結んだバオダイを元首に、南部にベトナム国(後の南ベトナム)成立。

1954年

5.7 ディエンビエンフー陥落。フランス軍の降伏により、第一次インドシナ戦争終結。

7.21 ジュネーブでインドシナ休戦協定調印。北緯17度線を暫定軍事境界線とし、ベトナムは南北に分断される。

1955年

4月 バオダイ帝廃位。

10.26 南部にベトナム共和国(南ベトナム)樹立。米政府の後押しにより、ゴ・ディン・ジエムが初代大統領に就任。ジエム政権の弾圧始まる。

1959年

1.13 北ベトナムの労働党(現共産党)、南ベトナムの武力開放路線を決定(15号決議)。

5月 ホーチミン・ルートの建設開始。

1960年

1月 南ベトナムのベンチェーで、反政府の農民らによる武装蜂起。

12.20 タイニン省で、南ベトナム民族解放戦線結成。

1961年

1.20 ジョン・F・ケネディ第35米大統領就任。

10.8 米大統領軍事顧問テイラー将軍がサイゴン訪問。米軍の介入を勧告。南ベトナム政府軍(ARVN)の増強を図る。軍事顧問は400名に達した。

1963年

6.11 ジエム大統領の宗教弾圧を非難し、クァン・ドゥック師が焼身自殺。以降仏教徒による死の抗議が相次ぐ。

8.28 米国で黒人公民権運動がピークに達し、ワシントンを28万人がデモ行進する。

11.1 ズオン・バン・ミンら南ベトナムの青年将校が、反ジエムのクーデターを起こす。

11.2 ジエム大統領とその弟ゴ・ディン・ニュー、殺害される。ズオン・バン・ミンによる軍事政権が発足。

11.22 ケネディ大統領、ダラスで暗殺される。リンドン・B・ジョンソンが第36米大統領に就任。

1964年

1.30 グエン・カオ・キらのクーデターにより、ズオン・バン・ミン政権崩壊。

6.20 ウィリアム・ウエストもーランド、米南ベトナム援助軍事司令に就任。

8.2 米駆逐艦が北ベトナム沖で攻撃を受けたと報告(トンキン湾事件)。

8.7 トンキン湾事件を受け、米議会はジョンソン大統領の軍事行動権限の拡大を承認(トンキン湾決議)。

10.10 東京オリンピック開催。94の国と地域が参加。


【第一部 始まり】

1965年

2.7 南ベトナム民族解放戦線、プレイク基地米軍宿舎を攻撃。サイゴンへのテロや、クーデターも相次ぐ。

3.2 米空軍、北ベトナムへの恒常的爆撃(北爆)開始。ローリングサンダー作戦。宣戦布告のないまま全面戦争に突入し、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まる。

3.8 米海兵隊3500名、ダナン海岸に上陸。米軍の大量介入の始まり。

4.24 東京で、ベ平連(ベトナムに平和を!市民文化団体連合)発足。

6月 グエン・カオ・キ空軍司令官が南ベトナム首相に就任。

10月 米国で反戦運動や黒人公民権運動が激化。デモ隊と警察とが激しく衝突する。

10.19 北ベトナム正規軍(NVA)、プレイメ米特殊部隊基地への攻撃を開始。

11.1 イアドラン渓谷の戦い。20日間続く大戦闘となる。南ベトナム駐留米軍19万人を超える。

1966年

1.24 米軍は、韓国軍、オーストラリア軍らと連携しマッシャー作戦を展開。41日間にわたる最大規模の索敵撃滅(サーチ・アンド・デストロイ)作戦。

2.6 米・南ベトナム両首脳、ホノルルで会議。

7.17 ホー・チ・ミン「独立と自由ほど尊いものはない」と徹底抗戦をアピール。

10.25 アッテンボロー作戦開始。米軍は、南ベトナム民族解放戦線司令部を壊滅すべくタイニン省(Cゾーン)へ侵攻する。南ベトナム在留米軍32万人を超える。

【第一部 終わり】


【第二部 始まり】

1967年

1.8 米軍シーダフォールズ作戦開始。

2.22 米軍ジャンクションシティ作戦開始。

4.3 ベ平連、ワシントンポスト紙に「殺すな」の広告を掲載。

4.15 ニューヨーク、ワシントンで大規模な反戦デモが起こる。

7月 コンティエン攻防戦。米軍非武装地帯で北ベトナム軍と戦闘。

9月 グエン・バン・チューが、南ベトナム大統領に就任。

11.3 ダクトーへ北ベトナム軍が侵攻(875高地の戦い)。イアドラン渓谷の戦い以来の大戦闘となる。南ベトナム駐留芸軍47万人を超える。

11.27 ロバート・マクナマラ国防長官更迭。

1968年

1.2 北ベトナム軍がケサンを攻撃。攻防戦は77日間にわたる大激戦となる。

1.30 テト(旧正月)攻勢。北ベトナム軍と解放戦線が、南ベトナム各地への一斉攻撃を開始。

1.31 サイゴンのアメリカ大使館を解放勢力が占拠。サイゴンの混乱は世界へテレビ中継され、世論が米軍撤退へ向けて大きく傾いていく。

2.1 古都フエで市街戦。25日にわたる戦闘の末、北ベトナム軍と解放戦線は敗走する。

3.22 ウエストもーランド司令官更迭。ベトナム戦争の「顔」たちが姿を消していく。

3.31 ジョンソン米大統領、次期大統領選不出馬を表明。

4.4 マーチン・ルーサー・キング牧師、暗殺される。米国内での黒人暴動が激しさを増す。

5.13 パリで、米・北ベトナムの第一回和平会談開催。

6.5 J・F・ケネディの実弟ロバート・ケネディ、民主党大統領選予備選に勝利するも暗殺される。

10.31 ジョンソン米大統領、北爆全面停止を発表。

12月 南ベトナム駐留米軍54万人に達しピークに。

【第二部 終わり】


 【TRUE END 始まり】

1969年

1.20 リチャード・M・ニクソン第37代米大統領就任。ベトナムからの名誉ある撤退を公約する。

6.8 南ベトナム民族解放戦線を中有心とする諸勢力が南ベトナム臨時革命政府を樹立し、サイゴン政府に代わる南ベトナムの正統政府を名乗る。

7.8 米軍撤退第一陣が米本土へ期間。8月までに2万5000人が撤退完了。

7.20 アポロ11号、月面軟着陸に成功。「人類の偉大な一歩」を踏み出す。

8.15 ウッドストック・フェスティバル開催。ヒッピー・ムーブメンtが高まる一方、アメリカ国内は価値観の相違により分断されていく。

9.2 ホー・チ・ミン死去。1945年のベトナム民主主義共和国独立宣言からちょうど24年の日だった。

11.3 ニクソン米大統領テレビ演説。サイレント・マジョリティと呼ばれる保守層から絶大な支持を得る。

11.16 ソンミ村虐殺事件発覚。

1970年

3.14 「人類の進歩と調和」をテーマとした大阪万博開催。

4.18 米政府の支援によりカンボジアでクーデター起こる。ノロドム・シハヌーク元首が追放され、親米派のロン・ノル政権が実権を掌握。

4.30 米軍・南ベトナム軍、カンボジア領内の北ベトナム軍、解放戦線を一掃すべく侵攻。ベトナム戦争はインドシナ全体へ広く影響を及ぼしていく。共産主義勢力クメール・ルージュの侵攻により、カンボジア内戦が拡大。

6.23 日本で安保闘争が高まるものの、日米安全保障条約が延長される。

1971年

2.8 南ベトナム軍、ホーチミン・ルート切断のためにラオス領内に侵攻するも大敗を喫する(ラム村719作戦)。

6.12 ニューヨーク・タイムス、ベトナム戦争に関する極秘資料ペンタゴン・ペーパーをスクープ。

1972年

2.21 ニクソン米大統領が中国を訪問。米中和解に向けた政策転換を図る。

3.30 北ベトナム軍は17度線を越え、南ベトナムへの大規模攻撃を開始(春季攻勢)。

5.15 沖縄が日本本土へ返還される。

6.11 ウォーターゲート事件発覚。

10.17 米国と北ベトナム、和平協定案に基本合意。

12.26 米軍、和平協定合意にもかかわらず、北ベトナムへの爆撃を再開(クリスマス爆撃)。

1973年

1.27 パリ和平協定調印。

3.29 米軍の完全撤退が完了する。

 【TRUE END 終わり】


1974年

8.9 ニクソン第37代米大統領辞任。ジェラルド・R・フォード第38代米大統領就任。

1975年

3.10 北ベトナム軍、バンメトートを攻撃。続いて中部高原タイグエンを占拠し、南ベトナム軍は総崩れとなる。

3.25 フエ陥落。南ベトナム軍は敗走し、100万名もの避難民が発生。

3.29 南ベトナム軍はダナンを放棄。敗走する。

4.17 カンボジアでポル・ポト率いるクメール・ルージュが首都プノンペンを制圧。

4.21 グエン・バン・チュー大統領辞任。チャン・バン・フォンが大統領に就任するも、二日後に辞任。

4.28 ズオン・バン・ミン、南ベトナム大統領に就任。

4.30 北ベトナム軍がサイゴンへ無血入城。ベトナム共和国(南ベトナム)が消滅し、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が終結。

1976年

7.2 南北統一。ベトナム社会主義共和国が生まれる。

1978年

12.25 ベトナム軍、カンボジアへ本格侵攻。中国を巻き込み、第三次インドシナ戦争が始まる。