ディエンビエンフー・プレス DBPPress

IKKI時代に定期刊行していたフリー・ペーパー「Dien Bien Phu Press」の特集記事や近況欄(次第に連載が混迷していく様がわかる)を始め、サントラCDの解説、雑誌のインタビューなど、現在では読めなくなっている大量のテキストを順次公開していきます。

 

『ディエンビエンフー』『ディエンビエンフー TRUE END』の物語とは無関係な内容も多く、はっきり言ってマニア向けです。気が向いたらお楽しみください。


海の向こうで僕たちの知らないうちに、戦争は始まったり終わったりしていた。

 

仲俣暁生(フリー編集者)

 

 1973年、南ヴェトナム共和国、サイゴン。

 海の向こうで長かった戦争がようやく終わる。アメリカ大使館の屋上から飛び立とうとするヘリコプターに、米軍に雇われていた現地人だろうか、あきらかに民間人と思える女や男が必死にすがりつこうとしている。彼らを振り落として、不安定な姿勢で飛び立つ米軍ヘリ。これでやっと家に帰れるんだ。HOMEWARD BOUND !

 

 1977年、東京。

 前年にデビューしたばかりの軍港・佐世保生まれの25歳の新人作家が二作目の「長編小説」を書き上げる。長編というにはあまりにも短いその小説のタイトルは『海の向こうで戦争がはじまる』。

 同じ年、フィリピンでは38歳のイタリア系アメリカ人映画監督が、終わったばかりのヴェトナム戦争をフィルムの中に再現しようと悪戦苦闘している。その映画が完成するまでには、まだまだ長い時間がかかる。

 

 1979年、アフガニスタン民主共和国。

 ソヴィエト社会主義共和国連邦による軍1事介入の始まり。初年度のソヴィエト側の戦死者はわずか86人だったが、1989年の完全撤退時には累計1万人に達している。

 

 1980年、イランとイラク。

 イラン=イラク戦争勃発。でも僕らにはどちらがどちらなのか、なぜ名前も宗教もよく似た二つの国が闘っているのか、最後までよくわからない。

 

 1982年、アルゼンチン、マルヴィナス諸島。

 アルゼンチンとイギリスが、サッカーの試合じゃなくて正規軍同士で本当の戦争をやった。アルゼンチン沖合のちっぽけな島(マルヴィナス諸島、英名フォークランド)をめぐって。大型空母を伴って大西洋を悠々と南下した女王陛下とマギー・サッチャーの艦隊はアルゼンチン軍に何隻も(コヴェントリー、シェフィールド!)撃沈されたけど、結局はイギリスが勝った。最後の古くさい帝国主義戦争。

 

 1989年、ハンガリー人民共和国、ショブロン。

 オーストリア国境のこの町で行われた大規模な「ピクニック」集会ののち、1000人が亡命に成功。この「ピクニック」の噂はたちまち東欧中に広がった。数ヶ月後にベルリンの壁も崩壊し、翌年東西ドイツは再統一される。

 同じ年、極東の島国ではいろんな偉い人があいついで死ぬ。

 この頃に生まれた子どもが、もうすぐ大人になる。

 

 1991年、スロヴェニア共和国。

 十日間戦争の勃発。スロヴェニアの勝利で終わったこの戦争の結果、旧ユーゴスラヴィアの解体がはじまる。

 同じ年、イラク軍がクウェート領に侵攻し、湾岸戦争がはじまる。ソヴィエト社会主義共和国連邦が解体し、独立国家共同体というヘンな名前になる。

 

 2001年、ニューヨーク。

 世界貿易センターのふたごのビルが、二機の旅客機によってボーリングのピンみたいに倒される。旅客機が突入した後もまだビルのなかで生き残っていたたくさんの人が、飛び降りて死んだ。

 

 2003年、東京。

 海の向こうでまた戦争が始まる。またイラクだ。

 イラクとイランの区別もつかなかった僕たちは、隣り合ったこの二つの国の違いをようやく知る。どちらでは何々派が多いとか、そういう難しい話ではない。いま攻撃されているほうが「イラク」、そうでないほうが「イラン」だと。

 戦争は泥沼化すると予測した専門家もいたから、僕らもそれを期待した。僕たちは、自分たちにとってリアルタイムの「ヴェトナム」がほしかったのかもしれない。米軍の無様な敗北を期待しながら、海のこちら側から安心して反対できる戦争。NO WAR, MAKE LOVE, GIVE PEACE A CHANCE !!

 

 でも、その期待は裏切られる。

 あっけなくバグダッドは陥落し(20034月10日。この原稿を書いている今からちょうど4年前だ)、「ネブカドネザル」なんていう手強そうな名前の師団もあって、「最強」だと噂されていた共和国防衛隊も早々に降伏してしまう。

首都での市街戦がはじまると、それまで毎日記者会見で楽しい嘘を世界中に伝えてくれた陽気な情報相も姿を消した。あの彼はなんという名前だったっけ?(Youtubeで調べてみたらサハフだった。米軍のやり口をアル・カポネみたいだと言い放った、懐かしいアル・サハフ。彼はとてもチャーミングで好きだった。さすがは情報相、人の心を捉えるすべを知っていた)

そして内戦がはじまる。

 イラクからの情報はそこでプツリと途絶える(ああ、せめてサハフ情報相だけでもいてくれたら!)。

 ファルージャという町で大きな戦闘があって、たくさんの人が死んだらしい。でも、僕らの想像力はそこで止まってしまう。なぜなら僕たちは、市街戦というものを経験したことのない国民だからだ。自分の国の自分の町が戦場となって、住んでいた家や通った学校やお店が爆破され、友だちや恋人や家族や町の知り合いが地雷を踏んだり銃撃されて死ぬのを経験したことがない国民だからだ。

 それはたぶん、僕らとアメリカ人とが共通してもっている弱さの根拠なのだろう。

 

 2007年、東京。

 僕たちはいまだに、わりと平和に暮らしている。かつて僕たちの国の植民地だったお隣の国が、核兵器をついに保有したとかしないとかで政治家たちは大騒ぎしている(ロクカコクキョウギ?)。でも、そんなものが自分の町まで飛んでくるはずがないと、僕たちはどこかでのんきに信じている。

 あいかわらず内戦が続いているイラクに、僕たちの国の兵隊も交替で何千人も出かけたけれど、幸い向こうで死んだ人はいなかったようだ。

 でも現地の詳しい情報はいまだに入ってこない。イラクにはいま、日本人のジャーナリストは一人もいないんじゃないか? 報道はお隣のヨルダンという国の首都、アンマンから伝えられるものばかり。仕方がないからYoutubeでFallujaとかIraq Warで検索してみると、ものすごく沢山の映像がみつかる。ヴェトナム戦争がTVウォーで湾岸戦争がニンテンドー・ウォーだったなら、たぶんイラク戦争はのちにYoutubeウォーなんて呼ばれたりするんだろう。

 そうして僕らは、自分たちの国の平和をあらためて知る。この国で勉強したり恋愛したり仕事をしたりできることの幸福を知る。いや、逆か? 誰も戦争で死にたくなんかないのに、戦争の映像につい惹かれてしまうのは、僕たちが平和のなかでなにかもっと大事なものを奪われているということに、戦争が気づかせてくれるからだろうか。

 いまあらためて読み返すと『海の向こうで戦争が始まる』はとてもいい小説だ。やがて書かれる『コインロッカーベイビーズ』に至る不穏な予感がすでにある。まだ予感でしかない、その感じが。

 ずっと慣らされてきた「戦後」という言い方に、僕らはいい加減、リアリティを感じなくなっている。「後」っていうけど、それはいったいどの「戦争」のことだろう。あまりにも多くの戦争が通り過ぎていった後では、僕らはもはや「あの戦争」だけを特別視する理由がすっかりなくなっている。

 いまの戦争は目に見えない。報道されないだけじゃなく、視覚的な想像力の外にある。Youtubeに映されているのは、なんというか、その残像みたいなものだろう。気がついたときにはすっかり勝負はついていて、そのあとをなぞるだけのような「戦争の映像」が、ダラダラつづいている気がする。

 それとも逆に、戦争はいつまでたっても原始的な形態を最後まで変えないのだろうか。映画『2001年宇宙の旅』の冒頭でヒトザルが最初に「道具」を殺戮のためにつかいはじめたときから、今にいたるまでずっと、ヒトがヒトを殺すことには同じ程度の意味しかないのだろうか。

 でも、現実の2001年が『2001年宇宙の旅』で描かれていた「未来」に少しも似ていなかったのはとてもよかった。僕らはすでに「未来」をも追い越している。格差? ニート? 高齢化社会? いいじゃないか。あいかわらず世界でもっとも豊かで安全で平和な国で、僕たちはパソコンの画面で戦争の様子をYoutubeで観ながら、自分の将来を不安に感じている。その不安は、Youtubeの向こうの国で戦火にさらされている人たちの抱える不安と、どちらが大きくも小さくもないだろう。戦争に憧れるなんてばかげているけど、目の前で戦争が起きないことに引け目を感じるなんてもっとばかげている。市街戦を経験したことのない国民であることは、ちっとも恥ずかしいことじゃない。

 かつてなんども予言され、恐怖され、切望されもした「世界の終わり」は、どうやら当分来そうもない。「世界の終わり」に向けられた想像力は、いまから思えば20世紀特有のひとつの終末宗教とでもいうべきものだった。世紀の変わり目と「世界の終わり」を結びつけただけの、なんて安易な想像力。中世の人間が悪魔や魔女を信じていたのとたいして変わらない。

 あの町からはたしかに遠く離れてはいるけれど、あそこで起きていることと、僕らの町で起きていることは、たぶん本質的には少しも違わない。朝起きて、ご飯を食べて、友だちや恋人に会う。仕事をし、遊んで、風呂に入り、祈りを捧げ、酒を飲んで、寝る。せいぜい祈りの量がほんの少し違うくらいだろう。

 

 ときどき、「世界」なんて存在しないんじゃないか、と思うことがある。もう少し正確に言えば、「世界」という想像力の働かせ方では、僕たちはもう、肝心なことをつかまえることができない、と思うのだ。内戦の続くあの町と、暴動さえ起きないこの町をともに包み込む想像力の表現として、「世界」はあまりにも古すぎる。だったら何を、僕らはそのかわりに持ち得るだろう?

 

(初出:DJまほうつかい&Aenさん『サウンドトラック・ディエンビエンフー』ライナーノート2007.11.11)


 

島島スタジオから#1

 

 チャオ・カク・アイン、チャオ・カ ク・チ。親愛なる読者のみなさま、 こんにちは。西島です。

 今頃は発売されているはずの 『ディエンビエンフー』第三集のすべての作業を終えた翌日(今回は合計40ページ以上の描き足し&差し替えをしています)、ボサボサに伸び た髪を美容室で切ってもらいながら、大谷能生さんの小説『鏡の国のデューク・エリントン楽団』を読みました(掲載されたのは『新潮』2008年5月号)。大谷さんはもともとサックス・プレイヤーであり、かつ優れた批評家でもあり、これは彼が商業誌に発表した初めての「文学作品」ということになります。

 僕は2年ほど前、大谷さんが主催していた定期対談イベント「大谷能生のフランス革命」にトークの相手として出演し、そのイベントで一緒にセッション的な演奏までした仲。そのイベントが、タイ トルもそのままについ先日、『大谷能生のフランス革命』として書籍化されました(共著者は門松宏明さん)。先日その刊行イベントが渋谷UPLINK で催され、これはお祝いだと思って珍しく僕も出かけ、最終的には壇上にあがって少しだけトークをしたのですが、そこで明らかになったのは、大谷さんと僕との距離でした。

 この出版記念イベントには、僕の他に、作家の堀江敏幸氏、チェルフィッチュを主催する岡田利規氏、スタディスト岸野雄一氏といった方々がいらしてましたが、みんな何らかの形で「大谷能生のフランス革命」以後、大谷さんと仕事をしています。堀江氏は大谷さん のソロ・アルバムのために自著『彼岸忘日抄』を提供し、岡田氏は劇団音楽に大谷さんを起用、岸野氏の学校で大谷さんは講師を勤め、そして僕は……

 というわけで、どうやら僕だけ、 その後大谷さんとの仕事上の関わりがないらしいのです。プライベ ートでもお会いしたことはなく、 この日会ったのも2年ぶり二回目。そのことを壇上で知った僕は、 しばし呆然というか、ひとり寂しく取り残されたような気分になったわけですが、イベント終了後も特に打ち上げが催される様子もなく(大谷さんは横浜に自宅があり、終電が早い)、僕はひとり仕上げたばかりのエッセイ・マンガの原稿(つまりマンガっち系)を持って編集者と落ち合い、お酒も飲まず、厳しい原稿チェックにさらされながら、美味しくもない夕飯にありついたのでした。

 ところで、大谷さんの小説『鏡の国のデューク・エリントン楽団』は、とても面白い小説でした。舞台はベトナム戦争よりもはるか昔の1942年。題材は戦争とジャズですが、どこか何もかもが他人事のような、クールで幻想的な描かれ方をしています。大谷さんの小説を読んだのはこれが初めてだったので、今時こんな時代の物語をこんな風に書く人がいるんだ、と改めて驚きました。そういえば僕も同 じような感想を、『ディエンビエンフー』に関して言われることがあったけれど…… というわけで『鏡の国のデュー ク・エリントン楽団』を読み終え後、『ディエンビエンフー』のノベライズを依頼するなら大谷さんがいいなと、直感しました。ノベライズこそが、大谷さんとその後例外的に仕事をしていない僕が彼と仕事する唯一の機会だと。

 今のところ『ディエンビエンフー』にはアニメ化やメディアミックス等の気配はまったくないですし、大谷さんの文体はまったくラ イトノベル的なものではないですが、例えば小学館つながりで「ガガガ文庫」から『小説・ディエンビエ ンフー』が出たら、それは初めての大谷さんとの仕事になるし、きっと素敵な作品になるだろうなぁと、そんな勝手なことをひとり美容室で考えていました。

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.1」2008.5.30発行)


 

島島スタジオから#2

 

 チャオ・カク・アイン、チャオ・カク・チ。親愛なる読者のみなさま、こんにちは。西島です。

 東京日仏学院という学校があります。公式サイトによれば、“日仏学園はフランス政府の公式機関。語学学校に文化センター、情報発信基地の要素を兼ね備えたまさに「日本の中のフランス」です。その扉はいつでもすべての方にオープン。フランス語を学びたい、イベントに参加したい、フランスの本やビデオを借りたい、ブラスリーでのんびりくつろぎたい……フランスのあれこれがかなうオープン・スペース、それが日仏学院です”とのこと。

 僕は別に生徒でもなんでもないんですけど、打ち合わせのついでかなにかで、ふらりと日仏学院に寄ったりすることがあります。ちなみに飯田橋周辺には角川書店や秋田書店など出版社が多く、中央線あるいは総武線に乗っていると、市ヶ谷〜飯田橋の間で、車窓から北側に日仏学院の建物が見えます。

 とはいえ僕が日仏学院に立ち寄る目的は、語学ではなくて食べ物。勉強じゃなくて、単なる食い気!

 フランス政府公式機関だけあって、日仏学院では食事もフランス式です。フランス料理のコースを食べさせてくれるレストランもありますが、僕がよく利用するのは、バケットやクロワッサン、ロシェココ、ファーブルトンなどを置いているフランスの軽食の売店。バケットというのは、フランスパンのサンドイッチのことです。フランスパンを半分に切り、野菜とオリーブ、鶏肉やビーフを挟んだバケットは、バリバリに固くて、とても本格派な感じなのです(いや、フランス行ったことないけど)。

 フランスパンと言えば、ベトナムはパンがおいしいことで有名です。ベトナムコーヒーなどと同じ、フランス植民地時代の食文化の名残りで、外は固く、中はしっとりと焼き上げたフランスパンが愛されています。歴史を考えると複雑な気もしますが、美味しいものは美味しい。

 ベトナムのバケットがフランス式と異なる点は、調味料としてニュクマム(魚醤)をかけること。ニュクマムは日本で言うと醤油に相当するベトナムの国民的調味料。炒め物にも、煮物にも、焼き物にも、麺にもご飯にも、ベトナム人は何にだってニュクマムを使います。フランスパンに、野菜や香草、焼豚やローストチキン、揚げ魚などをはさみ、唐辛子やニュクマムで味付けしてほうばる。これがベトナム流バケットサンドなのです。

 というわけで、僕は日仏学院で買ってきたバケットを家に持ち帰り、あらかじめ塩こしょうで味付けされている具材に、ニュクマムをぶっかけて、バリバリと食べるスタイルがお気に入り。まだ、行ったことのないベトナムのバケット屋に、思いを馳せながら......。

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.2」2008.12.26発行)


島島スタジオから#3

 

 チャオ・カク・アイン、チャオ・カク・チ。親愛なる読者のみなさま、こんにちは。西島です。

 昨年の夏、両親が暮らしている広島県への里帰りのついでに、島根県松江市を旅行しました。出雲大社へ参拝し、在来線に乗って松江市へ。宍道湖に沈む夕日が見える老舗旅館に、家族三人で二泊三日。

 松江市は小学生の頃にすこしだけ住んでいた場所で、思い出があります。松江城の石垣によじ登ったり(どうやって登れたのか記憶なし)、お堀に浮かんでいる船に子どもだけで乗って、もやいをほどいて漕ぎ出したり(どうやって戻ってきたのか記憶なし)。松江市で過ごした一年ほどの短い時間は、ベトナムの子どもたちのように、奔放なイメージです。

 久しぶりに訪れた松江市は、観光化が適度に進んでいました。お城の周りのお堀には、三カ所の船着き場があり、小さなボートの遊覧船が定期的に走っていました(船頭さんの解説付き)。夏の暑い日、船上から見上げる松江城に生い茂る木々は、メコン川のマングローブのようにも思えたし、お堀の水面から見える民家は、ベトナムの水上家屋のよう。ラフカディオ・ハーンゆかりの地でもある松江市の霊的な雰囲気も手伝って、松江市の風景が、まだ行ったこともないベトナムの風景にぼんやりとオーバーラップしたのでした。

 ところでこの暑い夏、僕が気に入って履いていた靴はエンジニア・ブーツ。夏の旅行に似つかわしくない、つま先に金属が入った革製の硬い安全靴を、この時期気に入っていた僕は、足にマメを作りながら履き潰していたわけですが、これが家族に不評(見ていて暑苦しい)で……。

 というわけで、旅先でサンダルを購入し、エンジニア・ブーツから裸足で履けるサンダルに履き代えたわけですが、これが非常に快適でした。硬くて重くて通気性の悪いブーツに対して、柔軟で、濡れても大丈夫で、通気性どころか素足がむき出しなサンダル。廃品タイヤのリサイクルではないものの、よく見ればその形状は、南ベトナム民族解放戦線が履いていた「ホーチミン・サンダル」そっくり。

 お堀を軽快に進む小さなボートの船上で、「これじゃ戦争に負けるかもね」と、暑く湿ったベトナムで重装備で戦った米軍兵士の苦労を思ったのでした。

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.3」2009.2.25発行)


 

島島スタジオから#4

 

 シン・チャオ。親愛なる読者のみなさま、こんにちは。西島です。

 今回6集に外伝が収められた自称「野良犬最強」ジャジャマル。実はこのジャジャマル、ほとんど設定らしき設定がないまま物語に放り込まれたキャラクターでした。リトルなら「ネイティブ・アメリカン兵士」、パク・メンホなら「韓国軍猛虎師団」というふうに、ベトナム戦争という史実に基づいた立ち位置がありましたが、ジャジャマルは「アメリカン忍者」。内面を持ちそうにもない思いつきキャラですが、その反面、実は野良犬の中で最も成長した登場人物だと思います。

 計画的に作品を作るタイプの西島ですが、テキトーに生み出してしまったジャジャマルの死に際において初めて「この子、死なせたくない!」と感じました。想定を超える感情。『ディエンビエンフー』は、僕が初めてキャラクターが動き出すことを実感した作品になりました。だからこそ外伝も描いてみたわけですが、相変わらず報われてなくて、愛すべき純情野郎(?)ですジャジャマルって。

 ところで「ジャジャマル」という名前の由来は、じゃじゃまる、ピッコロ、ポロリではなく、TECMOの昔懐かしいファミコンゲーム「忍者じゃじゃ丸君」に由来します。ジャスミンという本名は、09年に急逝してしまったVersaillesというバンドのメンバーJasmine YOUから。Jasmine YOUはマダム系の全身紫色の女装をしたベーシストで、ベースだけでなくステージ上で手品を披露することもあったそう。Jasmine YOUは忍者だったのかもしれません。ご冥福をお祈りします。

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.4」2010.2.25発行


 

濃縮企画「テト&Twitter大攻勢」

西島大介が主催する講談社BOXの企画「ひらめき☆マンガ学校」のtwitterアカウント(hiramekimanga)を利用して、ハッシュタグ#DBPPでtwitter上の読者から質問を募集。『ディエンビエンフー』単行本6巻発売日の2月25日から6日間で寄せられた質問に対し、twitter上ではなく、草の根の紙媒体である本誌DBPPで回答するのがこの企画です。ちなみに(だ)は西島大介の署名。

 

【質問一覧】

@kojiji ヒカルのカメラがコンタックスだったのはキャパの話題を引き出す為ですか? #DBPP

@akibin ヒカルはどうなるんでしょう? #DBPP

@akibin あと、つなぎあった手が飛んでたのは、なにかの伏線ですか? #DBPP

@Amur_Idus ヤーボ大佐はなんでチョコ中毒になったんでしょうか? 美しさを捨ててまで、それとも真っ二つに割れた中から「きれいな大佐」が出てくるとか????  #DBPP

→こんな感じ?(だ)※DBPPvol.5表紙の図を参照

 

@umedadanke ジャジャマルはなぜ忍者になることを選んだのでしょうか?また、忍術も独学のようですが、なにか参考にした映画やドラマがあったのでしょうか? #DBPP

→おばあちゃんの仕込み杖は『座頭市』だけど、ジャジャマルの忍術はたぶん適当です。彼女クノイチ知らなかったし(だ)

 

@hanayashiki 「二人はまだお互いを知らない」の「知る」は寝るって事でしょうか? #DBPP

@syoujouboku どうして等身大の人物絵を載せなくなったのですか? #DBPP

→「等身大の人物絵」とは、角川版のときにあった写真をベースにした写実的な絵のこと? 小学館版にそれがないのは、作品への現実味の持たせ方に違いがあるからです(だ)

 

@uta2 場違いな質問だったらとちょっとビビり気味でwディエンビエンフーの実写化もしくはアニメ化なんて話はあったりするのでしょうか?

→前担当Aさんによると「驚くほどアニメ化の話が来ない」本作。西島のアニメ/映像的マンガ表現は、アニメの作り手にとって「動かさなきゃ」というプレッシャーになるのではないかと。YOUTUBEには誰が作ったのか、DE DE MOUSEのサウンド上で編集されたDBP映像がアップされていて、編集センスを感じました(だ)

 

@kappu_dori    ヒカルがかっこよくなる日はくるのでしょうか? #DBPP

→今のところ気配なし。かっこわるくなる一方ですが、なんとかしたい(だ)

 

@yamadakanburia    歴史として、そして漫画作品として二重に結末の決まっている出来事を描く意義とはなんでしょう?あとがきにはまともな戦争の話がかけるかもしれない、とありましたがある結末をもって完了した出来事であるそれの過程を、現代に描く事にどのような意義があるとお考えでしょうか? #DBPP

→その意義を見いだせるかどうかという試みがつまり連載であり、あとがきを載せた角川版との違いは、その試みに時間=巻数を要するということです。僕が予想しない意義へ作品自体が読者を導く事を期待(だ)

 

@yamadakanburia    続けて失礼します。ディエンビエンフーを読む読者は、「戦争に対して無力で軽薄な徹底した部外者」だと思うのですか先生はこれを肯定・否定のどちらに位置づけていますか? #DBPP

@mukaiakihiro    #DBPP登場人物達の趣味や身長を教えて下さい!!^ ^*第6巻は台詞の一つ一つ痺れました! 

@kuga_suzuka    ミンチの白頭巾はKKKと関係ありますか?時代的には会員が一番少ない頃らしいですが…。ふと思いついたので質問してみました。 #DBPP

→詳しくは3巻「野良犬たちの休息」参照。死人に口無しですけど(だ)

 

@uta2    せっかくだからもう一つ質問、仮に映像化するとしてどんな監督や音楽家を指名したいですか? #DBPP

→作品の資料として、ベトナムの伝統音楽やベトナム人ピアニストDang Thai Son、各ベトナム戦争映画のサントラやドアーズ、果ては遠藤ミチロウ『ベトナム伝説』まで聴きますが、作品のラストシーンを思う時、頭の中で鳴っている音楽は歌詞も含めてフィッシュマンズ「Weather Report」(だ)

 

@mukaiakihiro    登場人物達の趣味が気になります…!!^ ^)#DBPP

@mukaiakihiro    連続失礼します…!! ヤーボ大佐が過去に活躍していた時代の画など今後登場しますか…? とっても気になってます^ ^)#DBPP 

→僕も描きたいですが登場予定なし。あるいは物語がそれを求めるなら……(だ)

 

@imagoka 質問です。毎作品セカイ系を意識して書かれていると思うのですが、今作は何を意識して書かれたのでしょうか?あと、この作品を読んだ人に勧める本は何かありますか?RT @hiramekimanga: 二人はまだお互いを知らない……ということか。でも質問待ってますよ(だ) #DBPP

→批評だと生井英考『ジャングル・クルーズにうってつけの日 ヴェトナム戦争の文化とイメージ』、小説だとティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』。(だ)

 

@imagoka    再び質問です。このキャラは殺せない(殺したくなかった)というのはありますか?RT @hiramekimanga: 今日も7巻。ディエンビエンフー質問受け付け、本日24時まで。あの……待っています!(だ) #DBPP

→DBPPvol.4にも描きましたが、ジャジャマル(だ)

 

@kojiji    先生はベトナム戦争後近くの生まれですが、ご自身でこの戦争の事を知ったきっかけって何ですか?世代的に『プラトーン』とか? #DBPP 

@akisakuJAPON    根本的な話ですが、なんでベトナム戦争の話を書こうと思われたのですか? #DBPP 

@kurezi    大佐とティムが出会った時に大佐は何の目的でロンドンに来ていたのですか?観光…にしては軍服ですが個人的なポリシーでしょうか。 #DBPP 

→朝鮮戦争帰りのアーロン・バンクスによって52年に編成された米陸軍特殊部隊グループ。53年に西ドイツへ派遣された際、隊員たちがベレー帽を被ることが習慣となりました。大佐がティムにロンドンで出会ったのは55年。まだ特殊部隊の軍服としてグリーンベレーが正規採用される前のことですが、アーロン・バンクスの部下として朝鮮戦争で戦い、特殊部隊設立初期メンバーであるヤーボ大佐は、プライベートな旅行でもポリシーとしてこのベレー帽を被っていました(だ)

 

@nara_mimi    西島さんはよく『ゼロ世代』とか『セカイ系』と言われてますが、ご自身ではこの言葉をどの様に定義して捉えていますか? #DBPP 

→誰かが言ってる「○○○ファンタジー」よりはマシな言葉。でも嫌いじゃないですセカイ系(だ)

 

@naoya_fujita    質問してみようかしら。既出だったらすみません。ベトナム戦争を描いた傑作映画はたくさんあると思いますが、『ディエンビエンフー』の絵柄も物語も意図的にその辺りから距離を置いているように見えます。既存のベトナム戦争を描いた作品への意識はどの程度しているのでしょうか?#DBPP 

@shikuokaputter    わたしは実際のベトナム戦争に関する知識がほとんどないのですが、この作品はどの程度、事実に基づいているのですか? #DBPP 

@shikuokaputter    先生の中で、結末やそれまでに至るストーリーというのはある程度決まっているのですか? #DBPP 

→最終的なトーナメントバトルの結果まで連載開始時に決定済み。巻末には載せられないネタバレすぎる年表も存在します。しかし、それすら覆してしまうのが連載の面白さでしょう(だ)

 

@kanedacosmix    @hiramekimanga だめだ…色々立て込んでいて凝った質問を練る時間が確保出来ません、、、くやしい。 以下:「野良犬たち」の面子の各役割のモチーフなどはありますか?王道のような布陣でいて、そうでないような気もします。彼等の死にまつわる物語性も見逃せません。 #DBPP 

@psy110    @hiramekimanga : #DBPP でうまく投稿されていない様なので、連投します。2度質問していたらごめんなさい。>取材で渡ベトナムする前と後では、作品に影響もしくは変化はありましたか?

→今のところ驚くほどに変化なし。ベトナム旅行時に感じたのは、「ここは僕に多くを教えてはくれない、僕は既に知りすぎている」ということ。でも、#42#43の聖マリア教会の描写などは、取材のたまものかも(だ) 

 

@hanayashiki    複数OKなようなのでもう一つ。ジャジャ丸について大佐は気付いててティムは気付いてませんでしたが他のメンバーは気付いてましたか?パク・メンホあたりは気付いてそうな気がしたのですが… #DBPP 

@kanedacosmix    @hiramekimanga もうひとつ。プランセスは、何故基本的に全裸になるのでしょうか?機動力?戦闘力?それとも。。 #DBPP 

@creator_n    2人はまだお互いを知らない。ってのはじつはフンとアーロンのことでしょうか?二匹を両国の記号として考えるとそんな気がします。@hiramekimanga 質問あと一時間ほどで〆切です。本気出してくれよ、本性出せよ、いくぞー!(だ) #DBPP 

@imagoka    質問です。先生がもし質問されたら答えられない質問ってありますか?設定や秘密など、すでに先生の中で出来上がっているのでしょうか?RT @hiramekimanga: 質問あと一時間ほどで〆切です。本気出してくれよ、本性出せよ、いくぞー!(だ) #DBPP 

@anticycle    @hiramekimanga 作中に武器としてよく鉈(のようなもの)が登場するのですが、実際のベトナム戦争でも多用されていたのでしょうか。#DBPP 

→米陸軍特殊部隊は「マチェット」という山刀を使用(だ)

 

@yamadakanburia    戦争報道におけるリアリズムは写真の歴史を経て、現在では時空間の超越という特性を持つ映像に握られています。本作にはこの歴史を漫画という形式によって更新する狙いがあるように思えますがどうでしょう。村上春樹さんのような新しいリアリズムを目指しているように思えますが。 #DBPP

@hanayashiki    ラストに雪崩れのように追加いきまーす。大佐がティムに偏愛を注いでたのは何故ですか?大佐の行動を見るに、単に使える兵隊を作ってるだけには見えなかったので。単なる気紛れなのかなあ #DBPP 

@hanayashiki    プランセスは「喋らない」んですか?それとも「喋れない」んですか? #DBPP 

@hanayashiki    ミス・グロスマンは元々そういう趣味だったんでしょうか?それともティムがそういう趣味を引き出すようなタイプの少年だったんでしょうか? #DBPP 

@kohedonian    そしてニコンを手にしないのは日系というキャラが立ちにくくなるため? RT @kojiji: 質問:ヒカルのカメラがコンタックスだったのはキャパの話題を引き出す為ですか? #DBPP

→今はカメラを失っているヒカルですが、手にするかもしれません、ニコン。日本人ジャーナリストあたりから?(だ)

 

@kuga_suzuka    率直に…どこからどこまでがフィクションなのですか?(作戦や人物など) #DBPP 

@kohedonian    最初はライカだったのが壊れて…というエピソードがあった気がして来たけど、確認してたら間に合わない!

@spica49    戦場という特殊な場所での『死』を描くにあたり、心掛けていることはありますか? @hiramekimanga #DBPP 

→あっけなく、でも劇的に(だ)

 

@hanatochill    @hiramekimanga 「ディエンビエンフー」の舞台は何故ベトナム戦争なのでしょうか?あるいは、「ディエンビエンフーの物語」と「ベトナム戦争の物語」はどちらが先に生まれたのでしょう。なぜベトナム戦争がテーマに舞台に選ばれたのか、という質問なのかもしれないです。時間切れ…? 

@naoya_fujita    質問してみようかしら。既出だったらすみません。ベトナム戦争を描いた傑作映画はたくさんあると思いますが、『ディエンビエンフー』の絵柄も物語も意図的にその辺りから距離を置いているように見えます。既存のベトナム戦争を描いた作品への意識はどの程度しているのでしょうか?#DBPP 

@shikuokaputter    わたしは実際のベトナム戦争に関する知識がほとんどないのですが、この作品はどの程度、事実に基づいているのですか? #DBPP 

@shikuokaputter    先生の中で、結末やそれまでに至るストーリーというのはある程度決まっているのですか? #DBPP 

@kanedacosmix    @hiramekimanga だめだ…色々立て込んでいて凝った質問を練る時間が確保出来ません、、、くやしい。 以下:「野良犬たち」の面子の各役割のモチーフなどはありますか?王道のような布陣でいて、そうでないような気もします。彼等の死にまつわる物語性も見逃せません。 #DBPP 

@psy110    @hiramekimanga : #DBPP でうまく投稿されていない様なので、連投します。2度質問していたらごめんなさい。>取材で渡ベトナムする前と後では、作品に影響もしくは変化はありましたか? 

@hanayashiki    複数OKなようなのでもう一つ。ジャジャ丸について大佐は気付いててティムは気付いてませんでしたが他のメンバーは気付いてましたか?パク・メンホあたりは気付いてそうな気がしたのですが… #DBPP 

@kanedacosmix    @hiramekimanga もうひとつ。プランセスは、何故基本的に全裸になるのでしょうか?機動力?戦闘力?それとも。。 #DBPP 

→裸=本気設定良いかも。大佐も脱いだし。考えておきます(だ)

 

@creator_n    2人はまだお互いを知らない。ってのはじつはフンとアーロンのことでしょうか?二匹を両国の記号として考えるとそんな気がします。 #DBPP 

→それもあるし、僕とベトナムかもしれないし、読者と作者かも。二人ってどこにでもいるから(だ)

 

@yamadakanburia    戦争報道におけるリアリズムは写真の歴史を経て、現在では時空間の超越という特性を持つ映像に握られています。本作にはこの歴史を漫画という形式によって更新する狙いがあるように思えますがどうでしょう。村上春樹さんのような新しいリアリズムを目指しているように思えますが。 #DBPP 

@hanayashiki    ラストに雪崩れのように追加いきまーす。大佐がティムに偏愛を注いでたのは何故ですか?大佐の行動を見るに、単に使える兵隊を作ってるだけには見えなかったので。単なる気紛れなのかなあ #DBPP

@hanayashiki    プランセスは「喋らない」んですか?それとも「喋れない」んですか? #DBPP 

@hanayashiki    ミス・グロスマンは元々そういう趣味だったんでしょうか?それともティムがそういう趣味を引き出すようなタイプの少年だったんでしょうか? #DBPP 

→ティムのせいかな。大佐の行動はそういう目線への彼なりの批判かも?(だ)

 

@kohedonian    そしてニコンを手にしないのは日系というキャラが立ちにくくなるため? RT @kojiji: 質問:ヒカルのカメラがコンタックスだったのはキャパの話題を引き出す為ですか? #DBPP 

@kuga_suzuka    率直に…どこからどこまでがフィクションなのですか?(作戦や人物など) #DBPP 

@kohedonian    最初はライカだったのが壊れて…というエピソードがあった気がして来たけど、確認してたら間に合わない!

@hanatochill   @hiramekimanga 「ディエンビエンフー」の舞台は何故ベトナム戦争なのでしょうか?あるいは、「ディエンビエンフーの物語」と「ベトナム戦争の物語」はどちらが先に生まれたのでしょう。なぜベトナム戦争がテーマに舞台に選ばれたのか、という質問なのかもしれないです。時間切れ…? 

@spica49    戦場という特殊な場所での『死』を描くにあたり、心掛けていることはありますか? @hiramekimanga #DBPP

 

島島スタジオから#5

 

 シン・チャオ。親愛なる読者のみなさま、こんにちは。西島です。

 昨年の10月末、ベトナムへ取材旅行に行ってきました。第一部の終了とほぼ同時に、初代担当のAさんが出産のために編集の現場から一度離れることになり、代わって第二部から担当となった編集長Eさん編集Kさんと、懇親をかねたサイゴン取材三泊五日。頑なに「現地取材をしない」ことを守っていた『ディエンビエンフー』ですが、第一部完結に至ってそのルールを捨てることになってしまいました。

 しかし結論から言うと、初めて訪れたベトナムは意外と僕のスタンスを変えなかった気がします。観光地化されたクチの地下トンネルや戦争証跡博物館を回っても、観光客に「たかる」体の不自由な(それが戦争のせいかどうかはわからない)物乞いに出会っても、思いのほか僕の心は動揺しませんでした。

 どうやら僕は、ベトナムを訪れる前にベトナムについて一方的に知りすぎていたようです。それも過去のベトナム。書物や映像から得た戦争時のベトナムのイメージほどに、現在のベトナムは僕に何かを教えてくれることはありませんでした。片言のベトナム語でプランセスに似た女学生に話しかけてみたり、船に乗りサイゴン河を渡ったやや貧しい地域で迷子になってみたり、市場に漂う魚貝とスパイスの臭いにむせ返ったり、もちろん楽しいできごとはあったけど、ベトナムと僕との距離を縮める何かには結局出会えないまま。そう、サイゴンに滞在してもなお「お互いを知らない」という相変わらずのヒカル状態。

 そういえば、サイゴン滞在の二日目の夕方、中華街のビンタイ市場を訪れた帰り道、ふらりと寄ったティエンハウ寺院でお参りをした際、持参したデジタルカメラが突然故障してしまいました。それまで軽快に取材写真を撮っていた僕ですが、これ以降、旅の高揚感も急下降。携帯電話のカメラで写真を撮っても空しく、旅の記録装置であり部外者の視点の象徴であるカメラを失うという事態に、自分でも驚くほどにダメージを受けてしまいました。この旅で僕を動揺させたのは、現実のベトナムの風景ではなく、単にカメラを失うことだったのです。

 結局カメラの故障はメモリースティックに原因があり、やや怪しい街の小さなカメラ店で別のメモリーを購入することで、ことなきを得たわけですが、それにしてもたったそれだけのことにここまで落胆するとは……。この取材旅行で知ったのは、ベトナムという異国についてではなくて、物語の登場人物ヒカル・ミナミの心境。この旅を通して最も共感できたのは、ベトナムの人々ではなく、「お互いを知らない」状態で描かれた架空のキャラクターなのでした。

 それにしても、第一部の完結に至ってでカメラと友達を同時に失ったヒカル、僕自身と比べてもケロっとしすぎなような……。他ならぬ作者であるにもかかわらず、「何なんだ君は?」とあきれてしまいました。

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.5」2010.2.25発行


 

島島スタジオから#6

 

 シン・チャオ。親愛なる読者のみなさま、こんにちは。西島です。

 月刊IKKI2006年9月号より始まった連載『ディエンビエンフー』ですが、つい先日出た2010年9号掲載の#47をもって連載終了。まだ第二部が始まったばかり。テト攻勢サイゴン戦が終了したとはいえ、唐突な終了のアナウンスに戸惑った読者の方もいるかと思います。理由について特に説明することをしてこなかったわけですが、この小冊子「Dien Bien Phu Press」を手に取ってくれたDBPマニアのためには説明する義理はあるかも。というわけで、今回のスタジオ便りは突然の連載終了についてです。

 西島のマンガ家としてのデビュー作は、2004年の早川書房から描書き下ろしで刊行された『凹村戦争』。翌05年の第2作目『世界の終わりの魔法使い』も河出書房新社からの書き下ろし単行本。その後にこの連載のプロトタイプである角川版『ディエンビエンフー』が刊行されましたが、これは「comic新現実」という不定期刊行の思想誌での連載でした。「comic新現実」の終了とともに連載はストップ。角川書店の別媒体への移籍の話もありましたが実現せず、一巻刊行のみの未完の作品となりました。

 そんな状況を経てIKKIでの連載が始まったのが06年。担当編集さんとの相談の上決定したのは、角川版の「続き」を描くのではなく、第一話から新規に描き起こしによる「新連載」とすること。

 マンガ雑誌でデビューしたわけではなく、それまで掲載媒体のない書き下ろしで作品を創ってきた僕にとって、「月刊」で「マンガ雑誌」であることは未知な体験でした。質の悪い紙面に印刷されること、それが毎月のペースで刊行されることにまさに一喜一憂。『ディエンビエンフー』は僕をより「マンガ家らしいマンガ家」にしてくれた第二のデビュー作と言えました。

 よりマンガっぽく、より連載らしく。僕がIKKI版で試みたのは、角川版とは全く異なるコンセプトです。登場人物が僕も知らない行動をとったり(例:泣く大佐)、物語の制約上殺したくないキャラが死んでしまって泣いたり(例:ジャジャマル)、乱暴に回収しきれるのかも不明なキャラを放り出してみたり(例:地獄の軍団)……。書き下ろしで全てをコントロールしながら作品を創ってきた僕にとって、アウト・オブ・コントロールな状況のただ中に身を置くことこそが、IKKI版の存在理由。そして連載や単行本の刊行を重ねるうちに、この作品は明らかに長期連載の様相を呈してきました。ふと気づいたのは、「どうやらこの作品は主題であるベトナム戦争と同じだけの年月を必要としそうだ」ということ。

 フランシス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録』は、ベトナム戦争を撮るという映画製作自体がベトナム戦争化した作品でした。IKKI版『ディエンビエンフー』は恐らく完結までベトナム戦争と同じ8年以上を要するでしょうし、もしかしたら単行本を20巻近く出さないと物語は終わらない。「他人事として遠く離れた場所から軽薄にベトナムを描く」という当初のコンセプトも、ホーチミン、フエと二度にわたる現地取材等でゆるやかに崩壊。9集以降で顕著となりますが、「お姫さま」というキャラクターを説明しきるには、ベトナム戦争以前の豊かな王朝の歴史にも触れざるを得ない。ようやく完結を迎える日、僕は40代になってるかもしれないし読者は……。とにかくこれは以前の僕には考えられなかった事態です。

 だから、連載終了に至った理由は実は出版不況とはそんなに関係なくて。『ディエンビエンフー』第一部が米軍側からの眼差しなら、第二部の視点は解放戦線・北ベトナム側に移動しています。ベトコンよろしく地下に潜り見えない場所で戦う(=誰にも発見されない場所で創作を続ける)のも、第二部に突入した今ならぴったりかもしれない。つまりゲリラ戦。実際掲載はされないけれど、毎月せっせと作品は描きためているのです(2010年10月現在)。

 と、ここまで真面目に想いを綴ってきてなんですが、もしかしたら4年を経て「月刊連載という形態にすら飽きてきた」というのが実は本音かもしれません。ヒカル・ミナミばりに無責任? 飽きっぽい僕がどうか飽きてしまわないようこれからも『ディエンビエンフー』をよろしくお願いします。

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.6」2010.10.30)


ベトナム犬がやってくるgau! gau! gau! 時をこえて登場する謎の犬フンに初インタビューです。

 

―性別は?

「男……雄犬だよ」

―生まれたのはいつ?

覚えてない」

―フンという名は誰がつけたの?

「最初に僕をそう呼んだのは、ザーロン帝の息子カインだ。おばあちゃんも僕をそう呼ぶ。姫は……いや彼女はしゃべれない娘だったね」

―古くは1819年に登場し、一番最近だと単行本3巻の1978年カンボジア侵攻にも子犬を引き連れて登場してますね。

「マスコットキャラは大忙しさ」

―計算すると少なくても159歳は生きてる計算になりますが?

「そんな年寄りに見える?」

―影武者がいるという噂も絶えません。事実は?

「ノーコメント」

―カンボジア侵攻に登場した子犬について伺います。お子さんは何匹?

「七匹。七つ子だよ」

―彼らの母親は?

「アーロン。知ってるだろ?ティム・ローレンスの飼い犬さ」

―アーロンは雌犬なんですか? 特殊部隊の創始者アーロン・バンクスに由来しているということでてっきり雄犬だとばかり…。

「人の奥さんに雌犬だなんて失礼だな」

―奥様アーロンさんはティムと大佐がお姫さまに敗れて以来行方不明ですね。

「残念ながらね」

―一体どこへ?

「さあ、どこかで買い物でもしてるんだろ?」

―あなたは伝説のベトナム建国の王フン・ヴォン(雄王)の生まれ変わりですか?

「さあね」

―タイムマシンに乗ったことは?

「知らないよ」

―UFOに連れ去られた経験は?

「ノーコメント」

―そうでも考えないとあらゆる歴史と場所に登場するあなたの実在を信じられない。

「帰ってもいいかい?」

―最後の質問を。作品中で何度もリフレインされる印象的なシーン。光景を見つめてあなたは泣いています。まさに名演技ですが…。

「カムオン(ありがとう)」

―あの涙の意味は!?

 「帰るよ。ガウガウ」

 

島島スタジオから#7

 

 僕にとってFSS=永野護氏を一言で表すなら 「憧れ」。拙著『ディエンビエンフー』の巻末のベトナム史年表や、冒頭に物語の終幕が描かれる構成、全てを司る神としての作者の在り方、ついでに略称D.B.P.。それは全てF.S.S.をお手本としています。虫より弱いラキシスは、オナニーしかすることのない最弱米兵ヒカル・ ミナミ。作者責任編集の小冊子「Dien Bien Phu Press」は「Tales of Joker」。西島が「DJまほうつかい」として制作したDBPサントラ盤は、永野氏の音楽活動からのインスパイア?  だから角川版DBPがニュータイプ100%コミックスから出たときは運命を感じましたが、掲載誌の休刊により未完。その後IKKIコミックスで作品をやり直すわけですが、8巻まで出して物語は全く終わる気配なくベトナム戦争同様泥沼化。たぶん20巻くらい出さなきゃ完結は不可能。現在絶賛休載中 ……ってそんなとこまで憧れなくてもっ!

 

 F.S.S.もまた「憧れ」の物語だと思います。先行する偉大なアーティストたち、例えばロジャー・ディーンやジョージ・ルーカス、富野由悠季に対する畏怖と同時に、作家としてひとりで立ち向かおうとする永野氏の覚悟をいつも感じるし、アマテラスを前にした登場人物たちの心境も同じだと思います。そんなわけで僕が選んだのはヨーン・バインツェルとエストのエピソード。敵わないと思える相手にそれでも挑む姿勢。F.S.S.を前にした僕そして『ディエンビエンフー』って、ほんとこんな感じです。「憧れ」と「怖れ」。今にも吹き飛ばされそうな気分。

 

 というわけで、絶対DBP読んでないであろう永野せんせい! 場所取る分厚い本ですが今度全巻送ります。担当M野に送らせます。ご不要でしたら焼き芋も焼けます。 GTM完成後、万が一お暇でしたらどぞー。

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.7」2011.6.30)

※「島島スタジオから #7」は「月刊ニュータイプ 2011年4月号別冊付録「FSS 25th Anniversary SPECIAL ISSUE再録


 

島島スタジオから#8

 

 シンチャオ! ごぶさたしています西島です。お待たせしました。2年ぶりの10集を刊行することができた2013年は2004年デビューの西島にとって「漫画家10周年」の年です。

 10年目に10集を出せてありがとう!(ベトナム語だとカムオン)という感謝を込めて3冊同時刊行フェアとして「西島大介漫画家10周年ありがとう!!」フェアを開催しています。デビュー作『凹村戦争』のレーベル早川書房Jコレクションから広島での生活を描いた家族エッセイ『All those moments will be lost in time』、ポスト3・11の「LOVE & POP」JUMP改連載『Young, Alive, in Love』の2巻、そして『ディエンビエンフー』10集がほぼ同時発売! 黄色い「ARIGATO!!」と言う帯を探してみてください。(ちなみに帯コメントは『私モテ』が150万部ヒットの谷川ニコさんです。ニコ先生ありがとう)

 11集は2014年に必ず出します。出したい。出せるかな? 出しますよー。ご期待くださいませ。ケジメの10年目、これから先の10年もよろしくお願いします。(作画に完結してると思う)

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.8」2011.6.30)


【番外編】DBPPress IKKI出張版「まさかの、ティム、ロボット化計画!!」

 

愛を探し続けた ティムの人生

 

 ティムは基本的に愛を知らないキャラク ターです。ヒカルが全然ダメで、たいして努力もしてなさそうなのに、ナチュラルに愛されることだけは得意であると。対して、ティムは、愛情そのものを知らず、それを求めてさまよう人間。プランセスに何度も負けてるんですけど、ま、努力型ですね。天然では全くない。ティムにとって戦場で戦うことは、愛情を取りもどしていくための行為です。で、最終的にプランセ スのことを好きかも知れないと、これが恋愛感情かもしれないと気付いたときに、そのプランセスに一度殺されてしまった。 普通に考えたら生きてる状態ではないんですけど、まあー、生きてましたね(10集最終話)。

 

 プランセスとの戦いで、奈落の底に落ちた。落ちた場所にあった村の住人に拾われた。奇跡的に一命を取り留めたけども、プランセスに左目を貫かれたという頭部の大きな損傷で、意識・記憶も損傷している。かろうじて生きているという状態です。

 

そのティムに目をつけた 「鮮血の医療団」! !

 

 11集から始まる第三部には「鮮血の医療団(ブラッディー・メディック)」というのが出てくるんですね。米軍の兵士たちは「どうやらこの戦争、勝てないぞ」というムード。彼らは戦闘に飽きて いる。どうやってこの戦争から離脱しようかと考えている。でも「鮮血の医療団」は違う考えを持っている。「戦争は人類を進化させるための出来事である。勝とうが負けようが関係ない。つうか、もう実質負けてるし、どうでもいい。自分たちは、この戦争による医療の進化を望んでいるのだ。戦争を口実にいろんな人体実験しちゃおうよ」というのが、「鮮血の医療団」。

 ボスはドイツ移民。ひどい連中で、「あ、死体 がいっぱい転がっているから、いろいろいじっちゃおう」と。で、バオとかをいじり始めるんですね。両足を失ったバオにロケットつけて空飛ばしたり、長い脚つけてダチョウみたいに走らせちゃおうとか。彼らが、ティムを見つける。いい実験体だぞと。こいつ相当強かったって話だから、もっと強くしてみようと。コントロールしてロボット化しちゃおうと。

 

で、なんでロボットになることに?

 

 このロボにしちゃおうというアイデアは、 10集を描き終わった時点では存在しませんでした。で、そのあと、たまたまアレハンドロ・ホドロフスキー監督(ググってみよう!)が物語をつくった 『メタ・バロンの一族』という漫画を読んだんです。ぼく、最近、これに夢中なんですよ。ほとばしっているんですよ、ホドロフ スキー汁が!

 メタ・バロンというのは最強の戦士の一族なんですけども、体が半分機械化されているんです。一族の息子が、メタ・バロン一族として認めれられるためには、自ら望んで痛みに耐えなければいけない。腕を握りつぶされるとか、足をスライスされるとか。で、一族の技術で欠損した肉体を機械化するんですよ。さらに一族を継ぐためには、自分の親と闘って殺さなければな らない。

 手や足が機械だっていうのはわかるじゃないですか。でも、赤ちゃんの時に頭をぶ っ潰されて「頭が機械」っていうキャラクターも出てくる! いいなと思って、もう「メタ・バロン」描きたくなっちゃって!

 ティムが、仕込み刀とか装着するというのはなんとなくイメージとしてあったんですけど、 ロボット化までは考えてなかった。で、『メタ・ バロンの一族』読んで、「あ、いいじゃん!」て思っちゃった! そしてそれは「鮮血の医療団」の技術をもってすれば、可能であろうと。彼らは進歩主義者なんですけど、これ、コンピュ ータの進化に似ているんですよね。コンピ ュータはベトナム戦争で進化した。そのコンピュータを搭載したティムロボはありえ るという結論に達したんですよね。「復活」どころじゃなく「機械化」まで来て、我ながらぶっ飛んでるなーと。こないだのエ ンドレスサイン会の時に読者方々に「どうですか?」って、アイデアを話したら、みなさん半笑いでしたけど(笑)。

 

(初出:月刊IKKI「DBPPress 出張版」ロボティム特集より)


 

島島スタジオから#9

 

 こんにちは。西島です。今まさに単行本11集の最終話をペン入れ中。残りはあと4ページ。第三部が開幕する11集からは「蟲」「百匹の虎」「地獄の軍団」そして「ロボティム」など新キャラ大量投入。しかしIKKIは今号で休刊。どうしたらいいものか...と、途方にくれもしました。気がつけば僕にとって最長連載である『ディエンビエンフー』は、急に物語を畳もうとしてもたためない「泥沼の戦争」状態になっていました。ベトナム戦争同様に連載を「石器時代=黎明期に戻してやれ」とはいかない。11集の裏テーマは「戦争を果てしなく続けること」です。IKKIで連載が始まり、途中連載をストップし描き下ろしへ移行、刊行の遅延、久々の連載復活、わずか3話で休刊。読者のみなさまに対して必ずしも誠実な連載ではなかったなと思います。この先『ディエンビエンフー』がどうなるかは正直全然わからないのですが(もう1、2巻出したところで完結の気配ナシ!)、とりあえずこの場所でここまで作品を作り続けることができたことを、読者のみなさんに感謝します。いつの日か、またどこかの戦場で会いましょう。とりあえず11集読んでね。最後はベトナム語で声を限りに叫びます「Xin Cam On!!」

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.9」2014.10.10発行)


 

 島島スタジオから#10

 

2014年の大晦日に合わせてDBPプレス緊急発行しました。これで都合10号目。もうちょっとで単行本の関数に追いつきそう。単行本11集制作時、実は平行して映画の脚本を手がけ、撮影に追われ、と同時にDJまほうつかいのEPが出たり、展示があったり、ペン入れと同時進行で忙しくしていましたが、IKKIとJUMP改、連載していた雑誌が二誌もなくなり、「はたしてこのまま漫画家でいられるのだろうか?」とふとぼーっと遠くを見ることの多い、そんな2014年でした。ぼー..................。年が明けて2015年。12集を出すことは決定しまいます。未だ作業にはまったくタッチできていませんが、必ず出すぞ! これを新年の抱負に代えて。2015年もDBPをよろしくお願いします。

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.10」2014.12.31)


 

歴代編集者からのコメント

 

安島由紀(初代担当、現ヒバナ、単行本第1集〜第5集)

西島さんとのご縁はいろいろあるのですが、どうしてこの連載をお願いするに至ったかというと角川版『ディエンビエンフー』がめちゃくちゃかっこよかっよくて! 何よりも嘘っぱちだけど何よりも真実、歴史ものだけど今。10 年たったいま読み返してもしびれますし、これからも憧れ続ける作品のひとつです。途中で担当は外れましたが、この作品の立ち上げをお手伝いできて本当にうれしかったし我ながらグッジョブです。いま現在の空気を吸いながら進化を続ける『ディエンビエンフー』、まるで生き物のようなこの作品を愛し続けますし、行く末を追い続けます。

 

江上秀樹(二代目担当、現Blue Sheep)

そうですね、「ディエンビエンフー」というのか、西島さんとの思い出(でいいの?)として、一番印象に残っているのは、編集長として、安島(さん)に連れられて、初めてお会いしたときのことですね。角川版が中断してしまった本作を、最初からリスタートしたいというような申し出だったと思います。その時、西島さんは「普通漫画家になりたいんです」とか言ったような気がします。「えっ!!???ふ…つ…う…??」もちろん、特殊なデビュー&特殊な扱われ方をされてきた西島さんとしては、極々一般のコミック誌で連載をやってみたいという意味だったと理解しますが、大抵の漫画家をめざす人は独自の存在をめざすのが“普通”であって、それこそ「普通は嫌だ!」と思うことこそが、創作のモチベーションになるのだと信じている僕にとっては、大変驚かされる言動だったことを記憶してます。そして始まった「ディエンビエンフー」ですが、これが普通漫画だったかどうかはよくわかりません。実際にやったことはありませんが「作中の死者数÷その記述に要した線数」という計算をしたら、おそらく漫画史上トップに躍り出るであろう本作。その手法自体を以て、西島さんは「戦争」の真実を表そうとしたのかも知れないな…と毎回関心しながら、読み進めてきました。ちなみに、担当編集をやらせて頂いたのは極短期間です。きっと、編集長が担当をやれば、そうそう連載を切られないだろう…などというセコい計算もあったのでしょうが、西島さんの思惑を超えて、僕は掲載誌自体を廃刊の憂き目に合わせてしまいました。その点は、本当に申し訳なかったと思います。しかし、西島さん自身も「僕って、周囲からなんとかなるって思われがちなんですよね(だから、冷たい仕打ちを受けやすい)」と言ってますが、二度に亘る掲載誌の消滅(※註:角川もそうですよね?)すらも、「ディエンビエンフー」そして「普通じゃない漫画家」西島大介を完成の域に持っていくための「試練」だと思って、僕は安心して、ニヤニヤ見ているところです。ンクク!!

 

甲賀達治(三代目担当、単行本第6集〜第9集)

やりにくいですね。連載立ち上げ担当とふたりの編集長担当に挟まれてのコメントなんて、やりにくいに決まってるじゃないですか。この無茶ぶり感が、「あー、西島さんだなぁ」と懐かしいです。てか、最終巻の単行本編集も手伝ってますが、この文章を書いてる時点で、まだ単行本編集終わってないから! 西島さんからの大きな大きな修正指示がギリギリまで入りすぎ!! でも、その修正で作品が確実におもしろくなってるので、素直にすげーなと感心しちゃいます。じゃ、単行本の編集に戻るんでこのへんで。

 

湯浅生史(四代目担当、現ヒバナ編集長、単行本10集〜第12集)

ぼくの「ディエンエンフー」の思い出は(というコメントでいいのか?)、なんと言っても、狂気の「エンドレスサイン会」(単行本10 集発刊にあわせてやりました)ですね。西島さんの超あかるい「狂気」になんとかついて行くしかないという気分だけでがんばっていたところ24 時近辺でとうとう自分の熱狂がピークに達したらしく、横の西島さんが俺を指さして手をたたいて爆笑しはじめて、「湯浅さん狂った!」的なことを言われましたしね。その「狂気」の感染元は西島さんのくせにー!!

 

島島スタジオから#11

 

 長く続いたこの「DBPPress」今回が最終回となります。今回の特集テーマは「戦争は終わらない」。終わらないと言いつつ最新12巻を持って『ディエンビエンフー』は最終巻となります。実質的には「打ち切り」であり、角川版に続き二度めの「未完」となってしまいました。

 読者のみなさんには大変申し訳なく感じるとともに、自分自身の力不足も痛感しています。未完についての気持ちはIKKI COMIX 12巻あとがきにまとめましたが、ここではもう少し率直な言葉で、ごめんなさい!

 連載から描き下ろしへの移行、掲載の遅延、掲載誌の休刊、売り上げの低下、さまざま理由はあります。小学館内での移籍先は見つけられず...。察してください。しかしながら、今こうして歴代の担当編集さんにコメントをいただけたことからもわかるように、苦境にあっても編集部との関係は友好であり、読者の皆さんに対する気持ちと同様に感謝と信頼を感じています。ありがとうございました。

 12巻がどのように完結しているか(またはしていないか)は、単行本を読んでいただくとして、とりあえずここまでのご愛読ありがとうございました。戦争は本当に、終わらないなぁ......。

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.11」2016.4.28)


 

 特集:マンガと戦争展+α

なぜ西島大介さんの「DBP」が 「+α」なのか

 ヤマダトモコ (明治大学 米沢嘉博記念図書館展示担当)

 

 当館で開催中の展示、「マンガと戦争展 6つの視点と3人の原画から+α」。 西島大介さんと「ディエンビエンフー」は当館のための+αです。

 大元の「マンガと戦争展 6つの視点と3人の原画から」は、京都国際マンガミュージアムにて2015年夏に開催されました。ひとつの視点ごとに各4作、6つの視点で計24作品の戦争マンガが紹介された上、’00年代に入ってから描かれた注目すべき3人のマンガ家の原画が並びマンガで描かれた戦争を多角的にとらえる意義深い内容。単館展示はもったいない。当館の何倍も広い会場での開催でしたが、元の展示の重要な部分をすべて詰め込みつつ、うちでもわかりやすく展示する方法を思いついたので、巡回の許可を取りました。さらに、戦後70年の節目に開催された京都展だから、戦後71年目の当館展示には、何か新しい要素を乗せたい、 と思いました。

「西島大介さんがいい!」とすぐに思いつきました。出展が叶ったときは本当に嬉しかったです。こうの史代さん、おざわゆきさん、今日マチ子さんと並ぶと、 男性作家を迎えることができつつ作品発表の時期もあっていて座りがよく、あつらえたよう。

 ただ、この追加は、3人のマンガ家に、さらに1人マンガ家を追加しての「4 人の原画から」ではないな、と思いました。

 全体に、太平洋戦争を扱った作品を主に紹介した京都展に対して、ベトナム戦争だからということもあるけれど、それだけじゃなく。年表的トピックス や扱う題材はベトナム戦争に依拠しつつ、何かもっとヘンテコリンな。かっこいい戦闘シーンと、争うことへの怒りのようなものが、かわいい絵柄とすばらしい構図の中にないまぜになっているこの長編は、 観に来る人たちに、戦争やマンガ、それからマンガで戦争を描くことについてもっともっと感じたり考えたりしてもらえる、この展示全部にかかる「+α」 だなと思ったのです。

 

出正統派戦争マンガの現在形

宮本大人(マンガ史研究者/明治大学国際日本学部准教授)

 

 胡志明杯て。10集までこの作品の世界観を受け入れてきた読者でさえ、11集を前に思わずそうつぶやいたに違いない。どこまで針を振り切る気なのかと。「往々にして馬鹿みたいな話が真実」なのだとしても、ここまで?と。

 ベトナム戦争、さらにはそこに至るベトナムの長い戦争の歴史という史実を題材にしながら、超人的な身体能力を持つ兵士たちがガンダムやマクロスのそれを想起させるバトルシーンを繰り広げる第1 部、テト攻勢からソンミ村虐殺にいたるエヴァンゲリオンを思わせる鬱展開 の第2 部、そしてホー・チ・ミンの死後唐突に天下一武道会が始まる第3部。

 「史実」とされる出来事や実在の人名・地名へのリンクを切らないまま、どこまで「馬鹿みたいな話」を展開できるかに挑むこと。この構造は、戦国時代における信長 をはじめとする戦国武将と百姓一揆の抗争の中で超人的 な忍者バトルが展開する白土三平の「忍者武芸帖」に似ている。 また、いかにも「かわいい」デフォルメの施された絵で凄惨な殺傷シーンを描く落差も含めて、「リアリティ」のレベルを意図的に不安定なままに留めることもこの作品の特徴だが、受け手の当初の想定を 裏切る描写の挿入によって意図的にリアリティのレベルを混乱させ、安心して楽しめるフィクションとしての戦争マンガを超えようとする試みも、水木しげるの「総員玉砕せよ!」、手塚治虫の「カノン」などから、こうの史代「夕凪の街」、今日マチ子「cocoon」まで、枚挙にいとまがない。

 その意味でこの作品は極めて正統的な戦争マンガの系譜の上にある作品だ。そしてまた、虚と実の振り幅の大きさ、マンガ・アニメ史的記憶も含めて詰め込まれている情報量の多さ、そして全体の見通しのきかなさにおいて、極めて今日的な作品でもある。 予告された結末にどのような意味付けが与えられるのか。このまま未完に終わるとすればマンガ史的損失だ。何らかの形での再開を強く望む。

 

島島スタジオから#12

 

 号外としてDBPPress vol.12 をお届けしました。展示のお声がけと、ご寄稿までいただいたヤマダトモコさん宮本大人さん、ありがとうございました。会場である明治大学米沢嘉博記念図書館にも感謝。異国の戦争をエキゾチックに描いた『ディエンビエンフー』にも、「ある歴史」を描いている以上、実は日本の戦争が色濃く入り込んでいるのかも!? そんな気づきのある展示&冊子になったと感じています。最終巻12集刊行後という不思議なタイミングでの開催となりましたが、執筆のための一部資料展示やアニメ化のためのパイロットフィルムなど、盛り沢山な展示になったと感じています。打ち切りを受けてのやけくそモードかもしれません。未完については、読者の皆さまに力不足を謝罪したい気持ちが強くありますが、しかし「戦争は終わらない」。いつかの再会を願って…。あ、21日トークイベント来て下さい!

 

(初出:「ディエンビエンフー・プレスvol.12」2016.5.13)

「マンガと戦争展+α」展示4期のアーカイブはこちら

『ディエンビエンフー』12巻までの参考文献はこちら


『TRANSIT』23号 特集:美しき水と密林の奥 ベトナム・カンボジア・ラオス インタビュー

 

 そもそも『ディエンビエンフー』(以下、DBP)を描くきっかけは、『地獄の黙示録』です。米軍が「ワルキューレの騎行」を爆音で流しながら、ヘリコプターからベトコンの村を襲撃する有名なシーンに衝撃を受けました。非人道的な状況なのに映像が美しすぎて、気持ちが高揚します。そんな相反する状態をマンガで描き出せないかと思っていました。

 ただ、それは、戦車は人を殺すけど造形はカッコいいとか、戦争全体に言えること。そこで、戦争を描くロケーションを探していましたが、ヴェトナム戦争は日本人から遠い戦争に思えたんです。僕自身、生まれた前年(74年)に米軍が完全撤退したその戦争は映画やメディアを通してしか知らなかったし、ヴェトナムに行ったこともなかった。むしろ、そんな距離感で軽薄に戦争を描けないかなと。実際にDBPは2004年に描き始めましたが、9・11やイラク戦争以後の状況をヴェトナム戦争を通じて描きたいとも考えていました。

 また、ヴェトナム戦争で従軍したティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』には「馬鹿みたいな話が真実で、まともな話が嘘である。なぜなら本当に信じがたいほどの狂気を信じさせるにはまともな話が必要だから」といったことが書かれていますが、荒唐無稽な話を描きまくれば、意外と真実に近づくんじゃないかと。現に第1部(1〜6巻)では、最強ベトコン美少女の“お姫さま”と、腕が伸びる兵隊や忍者などからなるグリーン・ベレーが戦う。戦争の是非を超えて異能バトル・マンガとして受け取る読者も発生したので、その意味では過激な作品です。

 主人公に設定した、広島への原爆投下日に生まれた子どもみたいな日系アメリカ人のヒカル・ミナミは、僕を含めた日本人を表しています。アメリカ人としての当事者意識も日本人の意識も薄いまま戦地に行ったそのカメラマンはオナニーばかりしていて、お姫さまに恋をしたら、戦争よりそっちを優先する。そのように、戦時下だろうと政治性が機能しないことはあり得ると思うんです。

 ところで、第2部(7〜10巻)では舞台の65〜73年からグエン朝にも話が飛びます。それに、戦争をクールに突き放して描くのが当初のコンセプトだったのに、3回もヴェトナムへ取材に行きました。米軍の制服を脱ぎ捨て、ゲリラ兵としてヴェトナムの奥地に入っていったヒカルのように、僕も迷走し、DBPが戦争と同じく泥沼化しているのかも(笑)。それくらい、ヴェトナムの風土も文化も歴史も魅力的ということです。

 9巻を描いている最中には3・11がありました。その後、原発事故に危機を感じて東京から実家のある広島に家族と移住し、漫画家として3・11をどう乗り越えるかを考えていたら、10巻が出るまでに2年以上経ち……。ただ、その間、放射線量の数値を読み上げる東京電力の記者会見は、ヴェトナム戦争時に「ベトコンを圧倒的な数で上回る米軍は勝利している」とか言っていたウェストモーランド将軍の定例報告会みたいだなと。ピントも合わせられないカメラマンたちが一旗揚げようとベトナムの戦場で写真を撮りまくったのも、3・11後にニュースで流れない情報がツイッターで広がるのに似ていると思った。そのように今の日本の状況がヴェトナム戦争と近いことに気づいてからは、DBPが描けるようになりました。

 

 さらに移住した広島は、被爆建物が残っていたりするので、悲劇の歴史と今を生きることを考えるのにふさわしい場所。10巻で2部が完結しましたが、いよいよ当事者意識を持ってヴェトナム戦争を描く段階にあると思います。それはともかく、DBPを読んでヴェトナムに行きたくなった人もいるはずなので、フン(お姫さまと一緒にいる犬)をベトナムのゆるキャラにしてほしい(笑)

 

構成=仲矢俊一郎

(初出:『TRANSIT』23号 美しき水と密林の奥ーベトナム・カンボジア・ラオス 2013.12.16)